2019年12月18日 (水)

残る色 残る色 残る色

暖かい九州はまだ紅葉・黄葉の季節。

 

 常緑樹が多いので、

 

 緑の中に交じる赤や黄色が際立ちます。

 

 

 

 落葉樹が、秋になぜ紅葉・黄葉するか。

 

 難しい話は大幅に割愛させていただきますが()…、

 

 

 

📝 秋になって気温が低くなると、光合成の効率が落ちて、

 

 クロロフィルは再生されにくくなり分解だけが進みます。

 

 紅葉の場合は、クロロフィルの分解に先だってアントシアニン(赤の色素)が作られます。

 

 モミジなどは、緑とこのアントシアニンの赤が混じる茶褐色の時期を経て

 

 全体が赤に変わっていきます。

 

 

 

 黄葉の場合は、クロロフィルと一緒に含まれていたカロテノイド(黄色の色素)

 

 見えてくるということのようです。

 

 緑に隠れていた黄色が残って現れるというようなことでしょうか。

 

 

 

 それぞれの色素に役割があり、

 

 なにも私たち人間のためにサプライズをしてくれているわけではないのですが、

 

 緑の後に現れる色もまた、新しい味わいで楽しませてくれているのです。

 

 移り変わりを見届けられる幸せというか。

 

 飽きさせぬ、進行形の魅力というか。

 

 

 

話は少し変わりますが、

 

 寒さが苦手な私の、数少ない冬の楽しみが、フィギュアスケートを見ることです。

 

 

今ちょうどシーズン。

 

 今週末は一番楽しみにしていた試合、全日本です。

 

 好きな選手、元選手は色々おりますが、

 

 とくに応援しているのは、髙橋大輔選手。

 

 演技が好きなのです。

 

 

 

長い現役生活の中、怪我などによる不調な時期もあったけれど、

 

 それで表彰台に上がらなかったとしても、

 

 心配はしても、がっかりしたことは1度もありません。

 

 ミスがあったとしても、彼の演技にはいつも圧倒的な「見せ場」がありました。

 

 

彼が最初の現役時代に、よく試合後のコメントで

 

 「お客さんとコネクトできた」というような表現をしていて、

 

 そんなことを口にする選手は、そのころ他にはおらず、

 

変わったことをいう人だなと思っていたのですが、

 

 今になって、それが彼にとって一番大事なことだと気がつきました。

 

 

見る人がいないと、そして共有できる誰かがいないと成り立たないものだったのでしょう、

 

 彼にとってのスケートは。

 

 記録を塗り替えるより、見ている人の心を染め変えるほうが、うれしいのかもしれません。

 

 

 

 

 

 大輔さんの演技は、継ぎ目も縫い目もない、1枚の布、いや絹かな。

 

 肩が動けば、絹が翻るような自然な時差で足元も応えていく。

 

 上半身下半身全く別の動きをしているようで、

 

 それが予想外だったとしてもちゃんと呼応していて、

 

 そうきたか!と、ワクワクするのです。

 

 

 

 解説者などがよく「音をとらえる」という表現をするけれども、

 

 彼の場合は、半拍先に動く。そして音が来るときには体がもう「決め」ている。

 

 音についていくだけでは余韻は生まれない。

 

 

 

素敵な演技というのは、火のようなもので、

 

 止まっていた空気(観客の感情)が吸い寄せられるように大きな風となって舞い上がる。

 

 私もそんな高揚感が好きなのだと思います。

 

 

 

そんな高揚感を今までに何度も高橋大輔選手にもらった気がします。

 

 もちろん、彼だけではなく、

 

 広いリンクで一人闘う選手たちの渾身の演技から感じるものが

 

 私にとってのフィギュアスケートの楽しみなのです。

 

 お気に入りの選手が勝てばいい、という話ではないのです。

 

 

 

フィギュアスケートのルールというのは素人には難しく、

 

 陸上とか、野球などのようにどちらが勝ったかすぐわかるというものではありません。

 

数字ではっきりするタイムでも距離でもなく、ジャッジにゆだねられる。

 

 自分の予想とは違うことも多々あります。

 

 

 

だけど、その選手の「精いっぱい」は伝わってくる。

 

 自分がどこに感動するかは、ジャッジの手の中から離れ、自由なのです。

 

 

 

 

大輔さんも33歳。

 

 この競技の中では、お世辞にも若いとは言えない年です。

 

 それこそ、春先の初々しい緑、夏の勢いある緑の葉の時代は過ぎました。

 

 けれど、その青さを卒業した後に残る色が、これからの大輔さんを彩っていくのだと思います。

 

 

長くパフォーマンスを続けたいと、選んだこれからの道。

 

 広いリンクに一人立つ姿も好きで、シングル引退は一抹の寂寥感がありますが、

 

 アイスダンスという世界で、また一から彼を応援できる…しかも長く…のは

 

 やはりありがたいこと。

 

 パートナーも素敵なスケーターです。

 

 

 

 大輔さんが秘めていた色、隠していた色素がどんなものか、

 

 一つ一つ発見しながら味わえるのが楽しみです。できるだけ長く楽しみたい。

 

 

その前に全日本。

 

 火になって風を起こしてください。

 

 キスクラで笑う顔が見たいです。それだけです。

 

 

 

 あー緊張する😵

 

 

いつもの話題とは違いますが、一度触れてみたかったので書いてみました。

 

 それを書くなら今だなと。

 

移り変わりを見届ける幸せと、

 

飽きさせぬ、進行形の魅力を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月 5日 (木)

ある日

ここしばらく、月に45回ほどの観察会などをやっており、

 

写真もネタもいろいろあるのに、いつも時機を逃してしまっていた。

 

どんくさいんだろうな。

 

同じようなことを同じような場所でやっていても、

 

思うこと、気がつくことは色々変わっていて、

 

回数こなしたからと言って、比例して自信が生まれるわけでもない。

 

「こうすればよかった」とか、「まだまだやな」とか、

 

むしろ反省点は増えていく。

 

だから次にしたいことができて、続けていけるのかもしれない。

 

 

 

今日は先日の観察会で撮った写真を並べてみよう。

 

1週間たてば景色は変わる。時機を逃さんように。

 

場所は市内のとある公園。

 

大きな池があって、鳥もたくさんいて、お散歩にもいい所。

 

来るのは、7月以来かな。

 

20191130

 

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木々が立ち並ぶ森の中もいいけど、

 

水辺があり、視界が開けた場所というのも、開放的でいいものです。

 

 

園内は、基本は植栽木。

 

何を意図したのか、クヌギが多い。

 

どんぐりも終わり、今クヌギの木には、

 

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もじゃもじゃの目玉おやじみたいなものが…

 

これ、「クヌギハケツボタマバチ」の虫こぶだそうです。

 

クヌギ()()()ツボ()タマバチ

 

虫こぶのなまえって、見たままのものが多いです。

 

何も知らないと何かの呪文みたいです。

 

 

 

一方、クヌギの実子、どんぐりはほとんどが落ちてしまってました。

 

地面でふまれたり虫に食われたものしか見当たらない中、

 

こんな根性クヌギどんぐりもありました。

 

2019121

 

何でもすぐ諦めてしまう人のお守りになりそうな「辛抱どんぐり」

 

手を合わせて拝みたくなる。

 

 

 

 

そして、

 

花が少ない冬、サザンカの濃ピンクがひと際目をひきます。

 

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風もないのに枝が揺れると思えば、メジロが蜜を吸いに。

 

 

 

 

さらに目を引くのは、ドウダンツツジの紅葉。

 

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燃えるようとは、このこと。

 

実ができていました。

 

こちらでは、緑から赤への、季節の移り変わりのグラデーション。

 

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 きのこもあったり。

 

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スギナに残る朝露には空が映り込んでキラキラ。

 

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おお、トキワサンザシも赤いアピール。

 

どうしてこう、赤い実って心惹かれるのかな。

 

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寒くなり、散歩人も少なくなってきましたが、

 

秋を残す公園、観察会も楽しかったです。

 

 

 

2019年4月 1日 (月)

桜とサンドイッチ

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土曜日、近くのダム公園に桜を見に行った。

 

ちょうど見頃。

 

人も少なく、のんびり歩けた。

 

 

ここは、遠足だのなんだの、子どもの頃よく来たところで、

 

懐かしい場所でもある。

 

こちらに帰ってからは、観察会でも来た。

 

きれいに整備されて、今ではいわゆる市民の憩いの場的な感じ。

 

 

広くて、1周するとなるとずいぶん歩くことになる。

 

ダムを見渡せる開けた場所もあり、

 

大木に囲まれた森のようなところもあったり、

 

ちょっとした広場もあったり、

 

好きなところでぼーっとできる、好きな場所。

 

 

 

水辺を少し過ぎたところに階段。

 

上がると、ここにも満開の桜(ソメイヨシノ)

 

いい具合に風が吹いて、花吹雪。

 

 

すると、

 

「あの木はあの時のこと憶えているかねぇ?」と妹。

 

「あ、ここだっけね」と私。

 

まだ私たちが小学生だった頃、家族でお花見に来たことがあった。

 

その時、お弁当を食べたり遊んだりしたのがここだったみたい。

 

 

4人そろっての花見は後にも先にも1度きりだったので、

 

妹はよく憶えているようだった。

 

 

 

もし憶えていてくれるならば、聞いてみたい。

 

父、母、私たちが、どんな話をしていたか、

 

何をして遊んでいたか。

 

 

 

私は、

 

母の着ていた服と、プラスチックの容器に入ったおしぼり、

 

それから妹が髪をふたつ結びにしていたこと、

 

そのくらいのイメージしか残っていない。

 

そして、みんな一緒というのがうれしかったこと。

 

憶えているのはそのくらい。

 

 

私たち以外誰もいなくて、空間ひとり占めみたいな感じだった。

 

桜は新しく植えたものかもしれないけれど、

 

その奥の方にある大きな太い木--クスノキなら、

 

憶えてる可能性はあるかなと、ふと考えたりして。

 

 

 

 

 

母の記憶が、だんだん曖昧になってきた。

 

こちらの世界と別の世界を行ったり来たり。

 

もうすぐ来る私の誕生日も忘れているだろう。

 

そんなんどうでもいいけど、

 

忘れてほしくないこともあるなぁ。

 

 

思うように動かなくなった体、

 

目に耳、利かなくなる感覚、

 

そんな老いと向き合う日々に、

 

何のために思い出があるのか。

 

 

しっかりと、それなりに楽しい人生を送ってきた記憶が

 

最後の力になるのではないのか。

 

 

 

ただ、母の記憶は消えたわけじゃないと思う。

 

どこに仕舞っているのかわからなくなっているだけだと思う。

 

地震で倒れた本棚の本みたいに、とっ散らかって

 

何がどこにあるのかわからなくなっているのだと思う。

 

 

一生懸命探しているのに見つからないから、

 

イライラしたり悔しくなったり落胆するのだと。

 

 

 

 

桜は枯れるまで桜の花を咲かせるし、

 

他の木もそう。

 

最後まで他の何者でもない。

 

母には母の花しか咲かないし母の実しかつけない。

 

それだけは確か。

 

 

 

 

桜ってやっぱすごいね。

 

誰もが、この景色を自分の楽しい思い出と結び付けたがる。

 

わざわざ思い出を作りに来る。

 

そんでもって、年に一度、それを返しに来てくれる。

 

 

 

あの日のお弁当、サンドイッチだったような…。

 

歩いていたら、キュウリとマヨネーズが浮かんできたので。

 

たぶん、そう。

 

やっぱ食べ物の記憶って最強。😃


 

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2019年3月29日 (金)

「もう知っている」の落とし穴

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10日ほど前のこと。

 

月に何度かは車で通る道の脇に、10メートルほどの木が2本。

 

その枝先が黄色くフワフワしたものに覆われているのを見つけて、思わず引き返した。

 

車を降りて近づくと、満開のアカシア(フサアカシア?)

 

しばし立ちつくし、見惚れた次第。

 

 

 

この場所の春を10回見ていて、今頃気がつくとは…。

 

見つけてうれしかったような、

 

今まで気がつかなかった自分にちょっとがっかりのような。

 

 

 

「よく知っている」とか、「前に経験した」とか、

 

そういう驕りで見逃す幸せがあるな、と思う。

 

 

 

 

テレビや雑誌、そして今までの自分の経験で、

 

毎日は割と難なく回っていく。

 

疑問を持たなければ、苦しくもない。

 

 

だけど、ふと、「それって本当?」と自分に問うてみると、

 

芋づる式に、「?」が続く。

 

「わからない! なぜ? これでいいの?」は、ストレスだが、

 

追いかけると、様々な扉が開く。

 

 

 

昔観た映画とかを、

 

何年かたってもう一度観ると、

 

全然違うところで泣けたりする。

 

 

それは、年とって涙もろくなったわけじゃない。

 

流れた時間の収穫だ、と思う。

 

大人には大人のアンテナがある。

 

 

一回見たから、やったから、で終えたら、

 

重ねた時間のご褒美もないのである。

 

 

「もう知ってる、もうわかっている」って、心の目を閉じてしまうこと。

 

そこに陥ってなかったかな?この頃の自分。

 

 

 

 

「真実は一つだ」と言い切れるものは、

 

実のところ、そう多くはないのではないかと思う。

 

求めれば求めるほど、答えが遠くなる。ひとつではなくなる。

 

 

だけど、答えはひとつじゃないとわかるだけでもいいんじゃないかな。

 

 

「自分を信じろ」とは、よく聞く言葉。

 

いいことだと思う。それにかっこいい。

 

 

だけど、もともと調子に乗りやすい自分は、

 

「自分を疑え」のほうがいい。

 

 

やっと慣れた、は、そろそろ危険。

 

「それってホントなの~?」「ホントにわかってんの~?」と、自分を挑発しなければ。

 

だって、もっとすごいもの、おもしろいものが、見えてないかもしれないから。

 

 

 

2019年2月18日 (月)

先走りの華やぎ -梅の香のエール-

2月の初めくらいだったでしょうか、

 

少し暖かかったので、窓を大きく開けていたら、

 

ふんわりといい匂い。

 

知らないうちに梅の花が咲いていたのでした。

 

 

昔、東京で暮らしていた頃のこと。

 

へとへとになって帰る寒い夜道で、

 

ふわっと降ってくるいい香り。

 

 

なぜかはわからないけれど、

 

その匂いをかぐと

 

「あ、大丈夫かもしれない」

 

と、思うのでした。

 

 

ブロック塀の曲がり角。

 

見上げると、街灯に照らされた白と赤の梅の花。

 

 

忙しかったり、きつかったりすると、おまけに寒かったりすると、

 

花は心に入るまで時間がかかるけれど、

 

匂いって、

 

ほんと、隙間を見つけて入り込んでくる。

 

 

冷たい空気の中、場違いのような甘い香りに、

 

ちょっと先にある希望のようなものを感じてしまう。

 

 

春がそう遠くないと感じられるから?

 

寒さもじき終わると思えるから?

 

理由はわかりません。

 

そういう力があるんでしょうか?

 

 

思えば、こんな微かな匂いにさえ、気分を左右されることに、

 

不思議だなとか、面白いなと思ったことが、

 

今やっていることの原点かもしれません。

 

 

人を励まそうとか、気を楽にしてあげようとか、そんなつもりは全然ない物から、

 

「大丈夫だし、春来るし」という明るいメッセージを勝手に嗅ぎつけてしまう。

 

人もまた、あらゆるものを光にして生き延びんとする生き物なのかも。

 

植物と同じで、わりとたくましくて したたか。

 

 

なにはともあれ、

 

季節を先走りする、春開演前の静かな華やぎが、私は好きです。

 

 

 

 

 

2018年6月 7日 (木)

小4男子の、悩み。

数年前から、小学生の勉強を手伝っている。

 

 

 

私が小学生の時の恩師からの紹介。

 

 

 

家庭教師とかできるかなぁと不安がっていたら、

 

 

 

「子守のつもりでいいのよ」と言われた。

 

 

 

「では子守しに行きます」とやらせてもらうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

今は小4

 

 

 

国語が苦手という彼に、

 

 

 

言葉ゲームをしたり、

 

 

 

お芝居形式(部屋を舞台にして)で問題文に感情移入してみたり、

 

 

 

唯一の愛読書、キャプテン翼のあらすじを説明してもらうなど、

 

 

 

色々試しながらやっていたところ、

 

 

 

「得意ではないけど嫌いでもない」というところまで来た。

 

 

 

 

 

 

 

が、しかし、

 

 

 

四年生になって急に難しくなったテキスト。

 

 

 

中学受験をするため、

 

 

 

四年になるとレベルがぐっと上がり、

 

 

 

読み取り問題の文が、本当に難しくなった。

 

 

 

そして、そこに出てくる意味の分からない難しい言葉や、設問に、

 

 

 

少し躓くようになって、

 

 

 

最近少し、やる気をなくしているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、

 

 

 

「難しい」だけが集中力低下の理由ではないようだ。

 

 

 

学校でのあれこれ。

 

 

 

小学校のクラスだって小さな社会。

 

 

 

人間関係というか、

 

 

 

特に女子との付き合い方にはいろいろ難しいところがあるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、クラスで「お笑い係」をやっている。

 

 

 

人が楽しく笑っているところを見るのが好きらしい。

 

 

 

その係には男女合わせて56人くらいいて、

 

 

 

話し合いをしながらネタを作り、披露するということになっている。

 

 

 

 

 

彼としては、早くネタを作り練習してみんなの前で発表したいと思っているのだが、

 

 

 

色々あって揉めることも多い。

 

 

 

この前も、練習以前の問題で躓いてしまったようだ。

 

 

 

 

 

メンバーのある女の子。

 

 

 

その女の子が言ったことに対して、

 

 

 

彼が、「それよりこうした方がよくない?」と言ったら、

 

 

 

自分が否定されたことが悔しくて泣いちゃったとか。

 

 

 

決して気の弱い子ではないらしい。

 

 

 

でもすぐ泣いちゃう。

 

 

 

まわりの女子が彼を責め、先生に言いつける。

 

 

 

先生は彼を叱る。何で泣かすの?と。

 

 

 

 

 

「先生もさ、親が怖いんだよね」と彼は言う。

 

 

 

 

 

例えば、休み時間に2つのチームに分かれて遊んでいて、

 

 

 

自分のチームが負けそうになると、女子らは急に腹を立てて、

 

 

 

この前も、「殺す」とか言われ、追いかけられたと言っていた。

 

 

 

そして、またその女子が泣き出すという…。

 

 

 

 

 

そんな話をしてくれる彼は、そのことに怒っているわけではない。

 

 

 

なんで?という気持ち。

 

 

 

いつものことだから、そういうもんだと思っているらしいが、

 

 

 

言葉の端々に、モヤモヤしている彼の心が伺える。

 

 

 

 

 

 

 

四年生になって急にそんな話が多くなった。

 

 

 

私としては、それでなくてもテキストのページが増え、それをひとつでも多く解いていきたいし、

 

 

 

やはりそれなりの成果を出したいと思ってあるのだが、

 

 

 

問題を解きながら不意に彼は学校であった事を話して、

 

 

 

勉強が中断することもある。

 

 

 

 

 

話してしまえば少し落ち着いて、またテキストの問題に戻るけれど、

 

 

 

そういう集中していない状態がこの頃増えた。

 

 

 

 

 

 

 

どうしたらいいかという答えを彼は求めていない。

 

 

 

ただ、「なんで?」という思いのボールを遠くに飛ばしたいだけだ。

 

 

 

 

 

そのボールを打ち返さず、

 

 

 

ミットで受け取ればいいんだと思う。

 

 

 

 

 

どこにボールが来るかわからないから

 

 

 

落としたりもするけれど、

 

 

 

ボールをボールのまま拾ってくれる相手を求めているのかなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

自分がこうやって勉強の手伝いをするにあたり、

 

 

 

決めていることは、子供扱いしない、ということだけ。

 

 

 

 

 

人間だれだって一つのカテゴリーに括られるのはイヤでしょ。

 

 

 

わかってあげているつもりが、自分と相手に隔たりを作るだけ。

 

 

 

隔たりを作らず、意思疎通をする技術が、他ならぬ「国語」の勉強。

 

 

 

 

 

 

 

すぐ泣くズルい女子に、

 

 

 

否定されたと感じさせず、

 

 

 

みんなを納得させる。

 

 

 

それが国語の技術なんじゃないかな?

 

 

 

 

 

みんなが笑うツボを押さえてネタを考えること、

 

 

 

聞き手を味方にできること、

 

 

 

そして、ケンカをせずに勝つ方法。

 

 

 

 

 

それが国語やる意味だと思うけどな。

 

 

 

 

 

立場として、テストの点も大事。

 

 

 

加えて、

 

 

 

彼が、クラスのみんなを大爆笑させる、スーパーお笑い係になることも願いつつ、

 

 

 

国語、やっていけたらいいなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森の話でなくて、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

2018年1月31日 (水)

春の速達便は、まだか?

1月も終わり。

 

今年は本当に寒い。

 

天気より温度が気になる、今日この頃。

 

 

 

 

そんな今、待ち遠しいのは、梅の花。

 

冷たい空気の中、静かに降ってくるようなあの香り。

 

春が近いと励まされる。

 

でもまだ、つぼみも凍えている様子。

 

春はもう少し先のよう。

 

 

でも咲いていました、ロウバイが。

 

厳密にいうと、ソシンロウバイ。

 

漢字では、素心蝋梅と書くようです。

 

梅と書けども、蝋梅は、ロウバイ科の植物で

 

バラ科の梅とは仲間とも言えません。

 

「蝋」がつくのは、花びらが蝋のように半透明でつやがあることからのようです。

 

 

真冬の弱々しい日光をかき集めたように、黄色く透ける花びら。

 

この時期の、暖色の尊さよ。

 

 

もし、熱とは呼べない、淡い温もりが目に見えるなら

 

こんな感じなのかもしれない。

 

 

 

ソシンロウバイ(素心蝋梅)

 

花弁、花芯まで同じ色の花を中国では「素心」というようで、それに由来した名とか。

 

ロウバイは、確か花芯が茶色っぽいんですよね。

 

ソシンロウバイは、花弁も花芯も同じ色。

 

 

素心そのものの意味は、

 

本心、偽りのない、飾らない心…

 

らしいです。こんな言葉があったのも初めて知りました。

 

 

本心。偽りのない、まんまの気持ち。

 

 

ふと思いました。

 

こうありたいと思い、そう振る舞う自分と、そのまんまの自分。

 

私は同じ色じゃないかもしれない。

 

ギャップがあるかもしれない。

 

 

 

もっと強くとか、賢くとか…

 

外側の部分で

 

背伸びしているところ、あるなぁと。

 

 

 

向上心と言えば、聞こえはすこぶるいいけど、

 

場合によっては、向上心は、正直であることに蓋をする。

 

 

そして、疲れた時点で、それはもう向上心でもなんでもない。

 

何がしたかったのかもわからなくなる。

 

 

 

だから、

 

「これもいい、あれもいい」をめいっぱいふるいにかけて、

 

最後に残るもの。

 

それを大事に育てようと思いました。

 

ひとつを大きく育てればいい。

 

 

人の腕は2本しかなく、指は10本。

 

足は2本が動くだけ。

 

掴めるものも動かせるものも限りがあるけれど、

 

 

育てたものは限りがない。

 

枝が伸び葉が茂る。

 

 

 

私という条件、環境の中で、

 

すくすく育ってくれるもの。

 

それが本当に自分の好きなことであり、向いているもの。

 

 

正直に生きるということは、

 

苦労がないということではなく、

 

実はとても労力が要り、勇気も要る。

 

 

だけど、自分をこう説得できる。

 

 

これが本心ですから。

 

本懐ですから。

 

こういう自分に生まれましたので。

 

 

 

ウメの木にサクラは咲きませんよ。

 

清々しい開き直り。

 

 

 

春の便りを待つ身に

 

冬の花の凛々しさが沁みます。

 

 

幸せの手紙は、

 

期待している相手からのものとは限らない。

 

 

ね。

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2017年5月11日 (木)

緑の音階

2年後、いや来年の約束さえできないかもしれない、

 

 

 

「期限」を言い渡されてしまった同級生と

 

 

 

何年かぶりに会った日の帰り道、

 

 

 

まだ十分に明るい、夕方5時の太陽に照らされた、緑が、あまりにも美しすぎて

 

 

 

泣きそうになった。

 

 

 

 

 

見慣れた小さな山は今、それぞれに違う色合いの新緑を纏っている。

 

 

 

赤みを帯びた柔らかな緑、透明感のある黄緑色、すでに深い青緑、

 

 

 

花をつけたものは輪郭が白く浮かび、湧き上がる雲のようでもある。

 

 

 

遠目に見ても、何の木か想像がつくのも今だけかもしれない。

 

 

 

 

 

そして、こんなに様々な緑が様々なスケールでありながら、和している。

 

 

 

色んな音色の楽器が一つの音楽を奏でるように。

 

 

 

新しく生まれ変わるものの眩しさ。

 

 

 

毎年見ているはずなのに、5月の美しさが身に染みた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院から一時帰宅した同級生の家は、

 

 

 

特別変わりなく、

 

 

 

本人も、痩せたこと以外変わりがないように見えた。

 

 

 

いつもの家、いつもの家族であった。

 

 

 

覚悟というものは、研ぎ澄まされると穏やかさを身につける。

 

 

 

 

 

だが、納得なんかしていない、と思う。

 

 

 

受け入れる。それしか選択肢がないからだ。

 

 

 

もがけば、鍵をかけていた哀しさが、扉を破って襲ってくる。

 

 

 

貴重な時間を哀しさで汚したくないのだ。

 

 

 

 

 

「いつも通り」に、私も救われる。

 

 

 

「いつもと同じ」が、かけがえがない。

 

 

 

 

 

時が帰らぬ代わりに、子供たちは成長した。

 

 

 

未来を描く年頃だ。

 

 

 

5年10年単位で。

 

 

 

 

 

それを見守りたかった人が、

 

 

 

1日、1週間、ひと月単位の未来を生きる。

 

 

 

 

 

 

 

明日のことなんて誰にもわからない。

 

 

 

生きているものすべて、明日の命はわからない。

 

 

 

それに、

 

 

 

同じ教室、近い席で泣いたり笑ったりしたのだから、

 

 

 

座っていた椅子を今さら遠くに持っていけないよ。

 

 

 

対岸に立てるわけもないよ。

 

 

 

 

 

お気楽に来年再来年の話は出来ないけれど、

 

 

 

今日眠りにつく時のこと、

 

 

 

明日目覚めた時のこと、

 

 

 

同じ気持ち、同じ目線で、いつもの通りに思ってみよう。

 

 

 

 

 

今度病室に行ったら、

 

 

 

窓からどんな景色が見えるか、確かめよう。

 

 

 

どの方角に窓があるか、

 

 

 

太陽はどんな感じで差し込むか。

 

 

 

 

 

季節がちゃんと届く部屋だったらいいな。

 

 

 

 

 

走るのが速くてかっこよかったとか、

 

 

 

ケンカを避けるのが上手かったとか、

 

 

 

顔を見るとホッとしたとか、

 

 

 

あなたは多分知らないであろう、

 

 

 

あなたが私たちに刻んだ、あなたのことを、

 

 

 

照れずに教えてあげよう。

 

 

 

 

 

来年の5月も、きっときれいなんだろう。

 

 

 

 

 

2017年3月 6日 (月)

「今年も会えた」、の幸せ

 

昨日、「ふくおか森林インストラクター会」の総会がありました。

 

 

年に一度、会員の皆さんに会える日なので、楽しみにしていました。

 

 

色々なことを決めたり、報告を受けるという大切な日でありますが、

 

 

一年ぶりに会う方も多く、

 

 

「こんにちは」と「お久しぶりです」といえるだけで私は大変満足します。

 

 

 

 

新会員、とくに女性の会員も増えたのもうれしいです。

 

 

 

 

総会の後に懇親会があるのですが、

 

 

毎回、会の中で最年長の大大大先輩が、みんなにビールをついで回っておられる姿を見ると

 

 

ああ、今年もいい懇親会だなと思えます。

 

 

 

 

この場面を見るのが、私の楽しみでもあります。

 

 

もしかしたら失礼な言い方かもしれませんが、

 

 

去年と同じであることの幸せ、を感じます。

 

 

自分を含め、皆さんそれぞれ色々あると思うのですが、

 

 

相変わらずみんな元気やなぁ~と思える幸せ。

 

 

楽しい時間でした。

 

 

 

 

 

 

 

父を亡くして9年くらいたちます。

 

 

私の時間の意識は、

 

 

父の死を境に全く違うものになりました。

 

 

「受け取る」という役割と、

 

 

「受け渡す」という役割。

 

 

 

大きな花火を打ち上げるのも素敵だけれど、

 

 

小さくても途切れない火を燃やしていけるかどうか。

 

 

 

血がつながっている、いないに関係なく、

 

 

受け取って次に渡す。

 

 

 

前にしか進まない時間は、

 

 

そのためにあるのかなと思うようになりました。

 

 

 

 

そういうことをふと、今日思い出しました。

 

 

 

 

話は元に戻りますが、

 

 

 

今日気がつきました。

 

 

 

私はこの会に入って8年目!!! 資格取って6年目?

 

 

 

嘘やろ!?

 

 

 

何だこの、新人体質。

 

 

 

もう新人じゃないよ。

 

 

 

森林インストラクターがどんなものかも知らないのに受験をし、

 

 

そのインストラクターになってやると思ってしまった無謀なあの日。

 

 

 

でも、その無謀は正解でした

 

 

 

 

私は、木で言うと、陽樹なのか陰樹なのか、わかりません。

 

 

でも、明らかに自分にとっては生きやすい場所で光合成してると思います。

 

 

 

旺盛ではありませんが、

 

 

酸素出せてると思います。

 

 

 

 

今日の総会、いや、懇親会では、

 

 

色んな木が酸素出していたと思います。

 

 

 

えっ?ビールは二酸化炭素ですか。()   

 

 

 

私は車のため、ビール飲めませんでしたが、

 

 

 

幸せな気分浴びて酸素出してました。

 

 

 

ケーキふたつ食べたし。

 

 

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年9月 7日 (水)

モリコレその7 ずっとあなたが怖かった。

 

基本的に私は、ビビリである。

 

注射とか、高い所とか、あれとかこれとか、

 

子どもの頃から苦手で、未だ克服できないものがたくさんある。

 

 

その中でも、理屈抜きで苦手というか怖かったものが、

 

この方、

 

Photo


 

「カエル」である。

(保護色で見えにくいですけど…すみません)

 

 

視力は悪いのだが、カエルの気配は感じ取る。

 

玄関にいれば家の中にも入れず。

 

テレビに出ていればすぐチャンネルを変える。

 

 

 

心の恋人、という言葉があるなら、

 

まさしくカエルは、「心の天敵」。

 

危害にあった経験はないけど、

 

見つければ、だれよりも逃げ足が速い。

 

 

 

ただ、

 

森の中で観察会をしていると、

 

季節によっては、かなりの確率で、この方に遭遇する。

 

 

「あ、カエル」と子供らの声がすれば、

 

もちろん、私は構える。

 

皆に感づかれないよう、23歩下がる。

 

 

 

 

だけど、見つけた子供たちは興奮して追いかける。

 

つかまえると満足げ。

 

(えぇっ、カエルが嬉しいのか…) ←心の声

 

(おっ、手で持つのか…)

 

(そんなに好きなのか…)

 

 

つかまえてドヤ顔をしているのを見ていると、

 

そんなにいいものか?と、ちょっと近づいて見たくなる。

 

ふーん。

 

 

 

そんなことが何度かあるうちに、

 

割と近くで見ることができるようになり、

 

見つけたら、

 

「ここに、カエル、いるよ~」と

 

言えるようになった。(やや離れた場所でだが)

 

 

克服したというより、

 

子供らのドヤ顔見ていると、

 

そういう楽しい中に、おいらも混ざりたい、混ぜてほしい、という欲求が

 

発動するのだ。

 

 

お囃子に惹かれてつい祭りを見に行ってしまう みたいなことか?

 

違うか。

 

 

その幸せ、味わないのはもったいない、という「もったいない根性」か?

 

 

 

例えば、ずっと嫌いだった食べ物も、

 

誰かがやたらおいしそうに食べていると、

 

ちょっと食べてみようかと思う。

 

体にいいから食べなさいと言われても、なかなか食指が動かなかったものが、

 

超幸せそうな顔で食べている人を見ると、少し食べてみたくなることがある。

 

 

 

世の中、苦手なままでも構わないことだってあると思うけれど、

 

克服したいことがあるなら、

 

自分が苦手なことを、楽しく幸せそうにやっている人の顔を見るのが

 

いちばんいいのかもしれない。

 

 

 

だから、楽しい時に幸せそうな顔するのって大事よ。

 

誰かの人生変えるかもしれないから。

 

 

 

って、まだカエルを触れはしないけど、

 

この世からいなくなれなんて思わなくなりましたよ。

 

頑張って生きるんだよって励ませるようになりました。

 

 

アタシったら、成長したわ。ドヤ顔。

 

 

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