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2019年4月 1日 (月)

桜とサンドイッチ

20124-2

 

土曜日、近くのダム公園に桜を見に行った。

 

ちょうど見頃。

 

人も少なく、のんびり歩けた。

 

 

ここは、遠足だのなんだの、子どもの頃よく来たところで、

 

懐かしい場所でもある。

 

こちらに帰ってからは、観察会でも来た。

 

きれいに整備されて、今ではいわゆる市民の憩いの場的な感じ。

 

 

広くて、1周するとなるとずいぶん歩くことになる。

 

ダムを見渡せる開けた場所もあり、

 

大木に囲まれた森のようなところもあったり、

 

ちょっとした広場もあったり、

 

好きなところでぼーっとできる、好きな場所。

 

 

 

水辺を少し過ぎたところに階段。

 

上がると、ここにも満開の桜(ソメイヨシノ)

 

いい具合に風が吹いて、花吹雪。

 

 

すると、

 

「あの木はあの時のこと憶えているかねぇ?」と妹。

 

「あ、ここだっけね」と私。

 

まだ私たちが小学生だった頃、家族でお花見に来たことがあった。

 

その時、お弁当を食べたり遊んだりしたのがここだったみたい。

 

 

4人そろっての花見は後にも先にも1度きりだったので、

 

妹はよく憶えているようだった。

 

 

 

もし憶えていてくれるならば、聞いてみたい。

 

父、母、私たちが、どんな話をしていたか、

 

何をして遊んでいたか。

 

 

 

私は、

 

母の着ていた服と、プラスチックの容器に入ったおしぼり、

 

それから妹が髪をふたつ結びにしていたこと、

 

そのくらいのイメージしか残っていない。

 

そして、みんな一緒というのがうれしかったこと。

 

憶えているのはそのくらい。

 

 

私たち以外誰もいなくて、空間ひとり占めみたいな感じだった。

 

桜は新しく植えたものかもしれないけれど、

 

その奥の方にある大きな太い木--クスノキなら、

 

憶えてる可能性はあるかなと、ふと考えたりして。

 

 

 

 

 

母の記憶が、だんだん曖昧になってきた。

 

こちらの世界と別の世界を行ったり来たり。

 

もうすぐ来る私の誕生日も忘れているだろう。

 

そんなんどうでもいいけど、

 

忘れてほしくないこともあるなぁ。

 

 

思うように動かなくなった体、

 

目に耳、利かなくなる感覚、

 

そんな老いと向き合う日々に、

 

何のために思い出があるのか。

 

 

しっかりと、それなりに楽しい人生を送ってきた記憶が

 

最後の力になるのではないのか。

 

 

 

ただ、母の記憶は消えたわけじゃないと思う。

 

どこに仕舞っているのかわからなくなっているだけだと思う。

 

地震で倒れた本棚の本みたいに、とっ散らかって

 

何がどこにあるのかわからなくなっているのだと思う。

 

 

一生懸命探しているのに見つからないから、

 

イライラしたり悔しくなったり落胆するのだと。

 

 

 

 

桜は枯れるまで桜の花を咲かせるし、

 

他の木もそう。

 

最後まで他の何者でもない。

 

母には母の花しか咲かないし母の実しかつけない。

 

それだけは確か。

 

 

 

 

桜ってやっぱすごいね。

 

誰もが、この景色を自分の楽しい思い出と結び付けたがる。

 

わざわざ思い出を作りに来る。

 

そんでもって、年に一度、それを返しに来てくれる。

 

 

 

あの日のお弁当、サンドイッチだったような…。

 

歩いていたら、キュウリとマヨネーズが浮かんできたので。

 

たぶん、そう。

 

やっぱ食べ物の記憶って最強。😃


 

Dscn9632

 

 

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